どうも、たかひろです。
今回のテーマは、”意識高い系”です。
数年前から定着し始めたこのワード。一般にメインとする学生、あるいは社会人としての活動以外にも、数々のアクティビティに参加し、人脈を広げつつ自己を高めていくというとライフスタイルを持った人達を指す、という認識です。
彼らは自身の日々の活動をSNSなどにアップし、「刺激を受けた」とか「後悔しないように」などと所感を発信するというと特徴があり、この性質からウザいと思われることもしばしばあります。
留学においても、この意識高い系の学生たちは当然存在し、ただでさえウザいのに、英語交じりのコミュニケーションなどを入れそのウザさを増幅させる傾向があります。
そんな意識高い系たちに対していろんな感情を抱く人達がいるかと思いますが、僕も思うところを書いてみたいと思います。僕も昔から悩んでいたテーマでしたが、最近ようやく僕なりの回答が出たので、それを共有したいと思います。
留学における意識高い系の人達とはどんな人たち?
留学における「意識高い系」とは、どんな人達でしょうか。
僕のイメージでは、クラスで英語で物怖じせず発言し、課題も上手にこなしながら課外活動へ勤しむ。
就職は、課外活動の面も評価され、上手くいくという印象です。
フェイスブックやインスタグラムでパーティやボランティアの写真をアップし、上手く人脈を作っていく。どう、充実してるっしょ?と言わんばかりです。
充実感アピールもどことなくウザいし、なんかこういう人達だけがうまくいくような感覚を持っちゃいますよね。
僕も同じだったのでよく分かります。
意識高い系の人達の本質
彼らがウザいウザくないは置いておいて、とりあえず彼らの意識高い行動の本質や、その行動がもたらすメリットについて考えてみたいと思います。
やりたい事をやっている
僕が思うに、彼らのベースは
やりたい事をやっている
ということだと思います。
仲良くなった人達に、たまたま何かしらのアクティビティに誘われた
↓
興味があったから行ってみた
というだけです。
彼らは、面白そうとか、何かしらの経験になるとか、将来の糧になるとか、そういったことに躊躇なく飛び込んでいけるのです。
そして、実際に自分はこんな事やったんだよーというのをSNSで発信する。
それだけの事です。そして、この行動には少なからずメリットはあるでしょう。
更なる出会いがある
当然、何かしらの活動に参加すれば、必然的に新たな出会いがあります。
そこで、いろんな人に触発される機会も、必然的に多くなるわけです。
例えば、とある日本人コミュニティに参加していた、僕の後輩。
彼は、なんとなく留学したい、でアメリカに留学していたタイプです。留学当初は、特に意識高い系であるという印象も受けず、将来の展望もあるように見えませんでした。
しかし彼は、興味のある事に飛び込んでいけるという外交的な性格を持っていました。
その日本人コミュニティで様々な人と出会い、彼らが将来を真剣に考えている事を知り、自分も将来について真剣に考え始めます。
「自分は将来何がしたいのだろうか」
「どんな仕事で、どれくらいの収入を得たいのだろうか」
「どんな場所で働きたいのだろうか」
という事を真剣に考え始めていました。
久しぶりに彼に会った時に、彼は立派な意識高い系に成長していました。
チャンスが巡って来やすい
このように、意識高い系の人達は、自身の将来というものをとてもよく考えている、または考える機会を得やすい、という特徴があります。
さまざまな課外活動への参加で必然的に出会いは増えるので、触発される機会が多い。その度に考えるので、将来について考える機会が多く、将来のビジョンを描きやすい。
さらには、その将来を考えていて、自分の将来のビジョンのベースが出来上がってくると、チャンスが巡ってきやすいというのも特徴でしょう。
流れとしては、
数々のアクティビティに参加し、将来について考え始める
↓
おぼろげながら将来やりたいことが見えてくる
↓
さらにいろいろな出会いの場へ行き、そこで出会った人達に、「自分、こんなことやりたいんすよね」と話す
↓
「え、じゃあこんな話あるんだけど、興味ある?」と、新たな活動の場へ誘われる
のような流れです。この一連の流れの中で、彼らはSNSを使い、人をうらやましがらせる、というわけですね。
というわけです。
意識高い系はなぜウザいのか
というわけで、彼らの本質をまとめると、
- 面白そうなこと、興味がありそうなことに飛び込んでいけるという性格がベースにある
- 出会いが増え、触発されやすい
- 触発された結果、将来を考えやすい
- 将来を考える+持ち前の正確により、チャンスが巡ってきやすい
となるわけで、要はちゃんと将来を考えている、行動的な若者、なわけです。そう、彼らは実際問題として、結構偉いのですwww
その彼らがなぜウザいという印象を持たれやすいかというと、周りからの嫉妬ということに集約されるのではないでしょうか。
彼らは、日々何かに飛び込んでいます。そしてそれをSNSにアップします。
彼らからしてみれば、自分のやったこと+所感を述べているだけなのでしょうが、そもそもSNSという媒体自体が、人の嫉妬心を喚起しやすいという特徴があります。
ドイツで600人を対象に行われた調査によれば、3人に1人がSNSにログインした前と後ではログインした後の方が気分が悪いと答えており、特にバケーションの写真を見た時にこの傾向が強く、さらにフェイスブックをよく使う人は、自分の投稿をアップできないと不満になると感じた人も多くいたとこのリサーチは伝えており、ミシガン大学が82人を対象に2週間行った調査でも、同じような傾向が見られました。
「フェイスブックをある一定回数、使った人は次回友人にテキストメッセージを送る時、あまり良い気分にはならなかった。2週間、持続的にフェイスブックを使い続けた人は、明らかに人生の満足度が低下していた。」
意識高い系の人たちは、常に充実してる生活の投稿を行うため、他人の嫉妬心を喚起しやすいのです。
少なくとも、将来は見据えている
彼らの振る舞いに対し、嫉妬を抱く人も多いでしょう。
よくわからないメッセージ、あるいは英語交じりのメッセージを込めて投稿するタイプだと、ウザさを増幅します。(人生は一度きり!とか、周りの意識高い人間の誰かは一度は発信したことがありませんか?ウザいですよね)。
しかし彼らは少なくとも、将来を見据えた行動はしています。
僕は彼らに拒否感を抱いていた当時の心境は、
彼らは将来を見据えた行動をしている。しかし、自分は、未だに何も将来の展望がない。しかし、そこを認めたくない。
という感じだったわけです。
意識高い系の人達の華々しい生活を見てウザいと感じてしまう人たちは、そんなに行動できるタイプではないのでしょうし、将来の展望もないのかもしれません。
彼らのようになりたいのか
さて、ここまで自問して欲しいのですが、
彼らのようになりたいですか?
ここは、僕の天邪鬼な部分なのかもしれませんが、
彼らが達成していることとか、得ているものとかには羨んでいても、彼らのようになりたいとは思っていない、ということに気づきました。
これが意識低い系の留学を経てたどり着いた答えでした。
この考えにたどり着いて、ようやく、
彼らは彼らの方向性で頑張っている。彼らのゴールを目指している。だから、自分は自分の留学のゴールを目指そう。
と心から思えて、比較の世界から抜け出すことが出来ました。
意識高い系の人達は、自分のゴールを見据えて、それに少しでもためになる活動をしていた。その結果、人脈だったり、仕事だったりと、輝かしいものを得たのでしょう。
その功績やら得ているものの表面的な華々しさ騙されていて、本質的な事を見失っていました。
つまり、自分のゴールを見据えて、その達成のために動いていれば良いのです。
意識高い系がウザくなくなるには
意識高い系がウザい、と思う感情の裏には、自身の嫉妬心が少なからず絡んでいるわけです(まぁ彼らのリア充アピールや寒いメッセージもどうかと思いますが)。
この感情を解消するにはやはり、このブログで一貫してお伝えしたいテーマ、「将来のビジョンを描く」ということで実現できるのかと思われます。
将来のビジョンを考えて、到達したい地点を考える。そしてそこから逆算すると、今やるべきことが明確になるというものです。
”意識高い系”は、その行動力ゆえにこの将来のビジョンを見出す可能性が高いですが、何も彼らのようになる必要はなく、考えてみればいいだけの話です。
留学、というか人生においての”目的意識”があれば、比較とか、羨望とかの感情は、少しはやわらぐと思います。彼らは彼らで、自分は自分、と思えますから。
僕は、流されるままの人生を送ってきました。ただ居心地がいいという理由だけでずっとその場にいて、将来の事を考えた事などない、根っからのモラトリアム人間です。そんな時代は、もう確かに嫉妬ばかりでしたよ。
しかし、いろいろなことが起こり、その中で目的意識がはっきりとし始めてからは、嫉妬という感情からは少しは解放されました。
なので、将来のビジョンをまず時間をかけて考えてみたらいいのでないでしょうか。そして、そのためには何が必要かというのを割り出しましょう。
まとめ
「”意識高い系”留学とか無理!意識低いままで留学を乗り越える方法」
- 彼らは行動力が高いため、出会いが多く将来を考える機会が多い
- 結果、将来を見据えた行動をとり、さらにチャンスが巡ってきやすい
- ”ウザさ”の大部分は嫉妬心だと思われる
- 留学における目的意識がしっかりすれば、嫉妬はなくなる