世界一無駄な留学

金も時間も無駄にした著者が、人生の敗者復活を目論む

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人が自殺を考える理由とその対策を考える

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ケイト・スペードさんが亡くなった。自殺とみられている。ブランドものに疎い僕でも知っていた数少ないデザイナーの訃報は、少し驚いた。

昨年の夏には、リンキン・パークのチェスターベニントンが自殺したばかりだ。僕が未だアメリカにいた頃には、電通の女性社員が過労自殺したというニュースがあり、かなり社会的関心が高かった印象がある。

こういう事例から分かると思うが、自殺の衝動というのは、どうやら社会的に成功しているとみなされている人にも起こりうる。経済的に追い詰められていて行きていけなくなるから死ぬ、というわけでもないようだ。

ぼく自身の経験と、色々と調べた結果によると、どうやら自殺には傾向があるが、対策がうまく機能していない、または個人が対策を講じていないという部分も多いにあると思う。今回は、自殺の傾向と対策を考えていきたい。

自殺は生物学的に非合理

自殺という行為は、生物学的には非合理だということは、少し考えれば分かる。全ての生物は種の保存のために、種全体の利益、存続のために行動する。人間だって生殖行動をすれば自身の子孫を残せるので、生き延びて子孫を残すための行動をするのが種の存続に繋がる。こういう理屈は、言われたら、「まぁ、そうだろうな。。。」となるようなものだ。


じゃあなぜ人は自殺をするか、それは自殺とは社会的なものだからだ、と自殺論を書いたデュルケームは言っている。


まぁこれも、人間とほかの動物との違いを考えてみれば分かる。人間は、高度に社会的な動物なので、自殺の理由も、その社会的な理由が「種の存続とかどーでもいいんだけど」と思わせるレベルに追い詰めてしまうのだろう。

最悪な状況だから死ぬのか

でも、人は最悪な状況で自殺する訳ではない事は、冒頭で挙げた例からも分かる。金があっても、地位や名誉があっても、自殺を選ぶ人はいる。

しかし一方で、八方塞りのような、この世のものとは思えない地獄から生還するような人もいる。ビクトール・フランクルの話は有名だろう。

僕がまだアメリカにいた頃、電通の侵入社員が過労自殺した。残業…時間に耐えられずに自殺した、みたいな印象を持ってしまうような報道のされ方だったわけだが…。

でも、東大出て、電通に入れるような、写真を見る限り才色兼備、しかも若い女性が、生きていく事を優先して考えた時に、どうにもならないなんて事はまずないだろう。もし本当に、労働時間を苦にして自殺したのだとしたら、解決策は単純明解である。会社をやめればいいだけの話だ。

だから僕は、自殺する理由なんて、長時間労働を苦に、というような表面的な理由ではない事が多いのではないかと思う。

ここも、デュルケームは言っている。

自殺者の先行与件の中に、一般に絶望をもたらすと思われるなんらかの事実をいったん発見したと信ずると、人はそれ以上の詮索は不要だと決め込んでしまう。そして、当人は最近金銭上の損害をこうむったとか、家庭のもめごとに悩んでいたとか、いくらかの飲酒癖があったとかいうような噂にもとづいて、自殺の原因を、その飲酒癖や家庭の悩みや経済的打撃などに帰してしまうのである。このような疑わしい情報を、自殺の説明の根拠とすることはできないだろう。

出典:中公文庫「自殺論」 エミール・デュルケーム著/宮島 喬 訳


つまり、自殺の理由は、(意識的にか無意識的にか)本人も社会的に一番納得できそうな事を周りに提示している。また、その周辺人物も、一般に自殺とは経済的に苦しくて…とか、いじめられて…とか、長時間労働を苦に… とか、そんなような理由で起こると認識しているために、自殺した当人の心の動きを知らずに処理しているのではないか、という話である。


経済的に追い詰められて…とかだったら、なんとなく分かる。けれど、会社やめれば良いだけの状況の人が、長時間労働を苦に自殺なんてするだろうか。ほかの理由があったかもしれないが、周りは長時間労働を苦に自殺した…と思ってしまいがちだという事なのだと思う。

自殺の理由として説得力があるもの

全く自殺は関係無いのだが、とある本を読んでいて、こんな記述を見つけた。

研究によれば、多くの人が自分の人生に満足しないのは、楽しい時を過ごしていても、それが自己のイメージに合わないという思いに囚われているからだという。人びとは、自分のストーリーに合致する人生を望んでいて、悪い事が起こると、自分という人間に附合すると思い、楽しいときは例外だとみなしがちなのだという。

このことは、最も深刻で痛ましい悲劇-自殺にも当てはまる。フロリダ州立大学の心理学教授、ロイ・バウマイスターによると、自殺を図った人間は、必ずしも最悪な状況にあったわけではなく、ただ自分に対する期待に及ばなかったのだという。現実の人生が、思い描いてきたストーリーに合わなかったのだ。

出典:飛鳥新社 「残酷すぎる成功法則」エリック・バーカー著/橘玲 監訳/竹中てる美 訳


人生の進捗が本人の期待から著しく低い場合、人は自殺する。少し一般化し過ぎている気もしなくもないが、感覚的に理解できる部分があるのではないだろうか。

また、デュルケームも「自殺論」にて、「目標達成の可能性が低い時に自殺をする」ということを、言っている。


二つの記述を総合してまとめると、現状が自分の思い描いていた人生よりも現状が著しく低い状態で、かつその状況がしばらく生きていても覆せそうにない時に、自殺を考える事が多いのではないか、と僕は思った。


例えば、僕も以前、自殺念慮があった。


一回目は、大学受験に失敗した時。そこからは、留学をしてから復活したのだが、そこからしばらくして、遠距離恋愛の失敗をしたり、就活が難航したりして、また自殺念慮を持つようになった。

はたから見ると、大した問題ではないだろう。また努力すればいいと一蹴されてしまうような問題だと思う。しかし、妹が超大手企業で悠々と働いている時に、僕はニートをしていた。高校、大学の同級生も皆、それぞれ社会人としてのキャリアを進み始めていた。本当だったら、自分も留学後に、あんな感じの華々しいキャリアを歩んでいるはずだった… と考えていた。

そんなある日、父親がよくお世話になっている占い師に、家族のことを占ってもらった結果を話してくれた。僕はこれからどうにかなる。無事に就職先も見つかる…とだけ言っていた。

そして妹の結果も盗み聞いていたら、なんと家族で一番出世をし、お金を持つのは妹らしいという結果を、父親は妹に伝えていた。

自分は今ニートだが、何も頑張っていないわけじゃない。目の前の現状に対して、どうにかしようと毎日もがいていた。毎日劣等感と自己嫌悪に苛まれながらも、頑張って行動していた。いつかまた、夢見ていた華々しいキャリアに舞い戻るのを夢見て。

しかし、妹に対する占い結果を聞いて絶望した。どんなに努力しても、この苦しさを乗り越えても、それが妹より出世して、稼げるようになるという形で報われる訳ではない。どんなに頑張っても、妹には勝てないのかもしれない。


生きていく、という事だけを考えれば、就職先さえ見つかればいい訳だ。ある程度労務環境も良く、月20万程度貰えて派手な生活をしなければいい。しかしだからといって、そんな人生に意味があるのか。人生で受けたマイナス分が、全てプラスとなって返ってくるな、という希望が見出せない。今まで感じた劣等感や屈辱感をただただ感じ続けながら生きていく未来を想像してしまう。


…こんな時、人は自殺を考えるのではないだろうか。(今僕は、楽しくやってますよ!笑)

自殺を考える人は根性がない?

自殺を考える人に対して、激励の言葉をかける人が多いと思う。その多くが、もっと悲惨な状況から生還した人の事を引き合いに出し、お前にもまだ抜け道がある、だから頑張れ、みたいな事だ。

自殺を考える人たちの事を、メンタルが弱い、根性がないというような捉え方をし、メンタルを強くすれば乗り切れると思っている。

しかし、事はそう単純ではないのではないか。

自殺を考えるときは、「生きていても意味がない」時なわけだ。生きていたら、解決出来ないと思ってしまうようなことかもしれないし、生きていて目指すものが何もなかったりする状態なのかもしれない。


電通の女性社員は、過酷な長時間労働を課されていた当時に、交際していた男性と別れたという噂もあった。この噂の真偽は定かではないが、もし本当だとしたら、自殺という手段を選んでしまったのは、より納得が出来る。


例えば、長年連れ添った恋人がいたとして、その人と別れることになってしまった。その人はあなたの事を、おそらく誰よりも知る人物の一人だろう。しかし、もう復縁は叶わない状態にまでなってしまった。


そんな時に、次の相手を見つければいいと、すぐに思えたらいい。しかし、その人とは復縁は出来ない。その人じゃないと意味がない、と感じてしまう人も多いのではないか。自分の肉親が災害で死んだら、同じ事が言えるのか。肉親として同じような機能を果たせる人は、探せばいなくもないと思う。だから、代わりを探せばいいという言葉を受け入れられる人がいるとは思えない。

例え今自殺を考えていなくとも

例え今自殺を考えていなくとも、アイデンティティを脅かす危機などにより、誰しもが自殺を考える時が来る可能性は否定できない。

人生のある時点まで上手くいっていても、降りかかる災難などはコントロール出来ない。誰しもが、キャリアに関する厳しい現実だったり、死別、離別などの、ある程度自分のアイデンティティの拠り所となっていたものを失ったりする。

このダメージが、例えば半年付き合った恋人と別れたとか、同期に出世で先を越された程度の事だと良いが、自分のアイデンティティに深く根ざしたものだった場合は、存在意義がなくなったと感じてしまうのではないか。


例え今自殺を考えていなくとも、自殺を考えてしまうような出来事は、いずれ訪れる可能性はある。あのケイト・スペードにさえ訪れたのだ。なぜあなたに、それがないと言い切れる?


だから、自殺を考えてしまうような状況になってしまった時の対策は、誰もが考えておくべきだと思うのだ。

自殺を考えないためには

上でもいったように、自殺したくなるような状態というのは、


  • 人生が自分の期待より著しく下回る時
  • これからもその状況を覆せないと予感した時


というのが多いのではないかという仮説は、感覚的にも分かってもらえるかと思う。

しかしながら、こんな状況なんて割と簡単に訪れると思う。そもそも期待通りに行くことの方が少ないのが人生だ。


こういうような事は簡単に起こるので、普段からセーフティネットを意識しておく必要がある。


セーフティネットとはどういうことかというと、自分のアイデンティティの拠り所を普段から複数用意しておく事だ。


勝間和代さんの著書、「不幸になる生き方」によると、不幸になりやすい人は"単一アイデンティティ思考"の傾向が強い、という。普段は仕事で忙しくしていて、休日は家でダラダラ...というようなライフスタイルだったり、家庭を顧みず仕事ばかりに打ち込んでいる人たちの事だ。

投資の格言と同じで、自分のアイデンティティを、一つのものに集約してはいけない。その集約した一つのものが崩れてしまったら、上の二つの条件を即満たしてしまうからだ。


仕事以外にも普段から趣味のコミュニティや以前からの友達と付き合いを続ける。恋人、家族がいるなら、ちゃんとそちらにも時間を割く。だからワークライフバランスというのは大事なのだ。


必要なのは、あなたの大切にしているもの、精力を傾けている対象などが無くなってしまったり、思い描いていた通りの結果にならなかった場合を常に想定するという発想だ。そんな事、考えたくもないだろう。考えただけでも恐ろしい。が、成人して以降の人なら分かるだろう。そんな事は、いつだって起こりうる事くらい。


専業主婦になってしまった人は、基本的に家庭に全てのアイデンティティを置いている人が多いかと思う。しかし、もし家庭が無くなってしまったら、アイデンティティの拠り所も消え、おまけに食い扶持もないという状態になってしまう。分かり易すぎる例かもしれないが、自分の今のライフスタイルに、このような要素が無いかというのを改めて見直す必要があるかと思う。

まとめ

「人が自殺を考える理由とその対策を考える」

  • 生きていくことを優先して考えたら、自殺しなければいけない状態なんてほぼない
  • 自分の人生が期待より著しく低く、かつその状況を覆せないと予感したときに、自殺を考える
  • 誰しもが、「アイデンティティの拠り所」を複数用意しておき、自殺予防について考えておく必要がある